すっきりと暮らしたい ありのままキロク

32歳 ぺぽ シンプルですっきりとした生活を目指すブログ

ADの経験は無駄じゃない。「AD辞めたい」と思ったらここを見てほしい

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ADつらすぎ

睡眠不足・終わらない仕事、うまく行かない編集

迫りくるロケ日の間に他の撮影場所のメールでスケジュール調整

ディレクターからネタもってこいと言われてもそんな時間ないし、気力も出ないし

他のディレクターから仕事振られてキャパオーバーだし、

他のADさんも忙しそうだから声かけれないし、休日だって気づいたら出勤だし、編集してたら気づいたらみんな帰宅しているし・・・。心が折れる

辞めたいと言ったら止められる

よほどのことしてない限り、働く姿勢は認められている。

言葉にはしないが、頑張りは認めてもらっていることに気付こう。

何も言われなさすぎて不安ってのもあるが、何も言われないなら大丈夫です。

私も一回会社の社長と辞めたい旨を伝えましたが止められました。そこから這い上がって頑張りましたが・・・。

不安に思うことが有るなら、相談してみるしかないです。


他の職種の人にも聞いてみる

テレビ局はものすごい人が沢山働いています。

一緒に仕事をする経験が増えてくると仲良くなれます。仲良くなって技術さんにも相談はしていました。

他の部署でお世話になっているDやADさんとも自然と仲良くなるので、そういう人たちにもよく相談にのってもらいました。大概「あなたはよく頑張ってるよ」といわれますよね・・・。

わたしのAD辞めたきっかけ

わたしの体験ですが、職場に向かう電車に突然乗れなくなりました。

「やばい」と思い真っ先に制作会社の社長に電話しました。

そこから職場に連絡してくれて「休め」の指示がありました。理解のある職場なら何かしら対応はしてくれます。

残っている仕事はどうなるの

はっきり言って仕事は大量に残っていました。しかし、他のディレクターやADさんがいます。絶対誰かが変わりにやってくれます。
無責任かと思いますが、死なれるよりはマシだと思います。ちなみに離職率や飛ぶことがおおい業種なので仕方がないと思います。

辞めたいと思った理由

わたしの場合は

ディレクターになりたくない

ADをずっとやっていくとだんだんディレクターの仕事の楽しさと同時に恐ろしさと多忙さも直で感じるようになります。正直自分の性格上「向いてない」と判断しました。

テレビ制作に関する興味の薄れ

スタジオでも人に気を使いすぎたり、ロケ終わりのテープの取り込み、その後の編集に付き添い。一体いつ帰れるんだろう・・・もはや【テレビ制作に関する興味がなくなって】きていました。

常に睡眠不足で精神的体力的に不安定

平均睡眠時間は4時間~5時間。ショートスリーパーには慣れませんでした。身体的に明らかな異常も出始め、仕事→病院→仕事の繰り返しでした。(ちなみに辞めたら、すぐ治りました)

将来性

仮に仕事をバリバリこなせるかっこいいディレクターになったとしても、その先にある未来が全く見えてきませんでした。将来は結婚もしたいと視野にいれていたので(もちろんディレクターになっても結婚できますが)この仕事を続けてたら体壊すし、自分が生きている保証がないと思っていました。

 

本当にやめたいと思ったら

ディレクターになるだけがADの道じゃない。

ADはディレクターになりたい人が行く道とも思っていますが、

カメラマン、音声、照明、音効、作家さんや編集さん、TK、CGをデザインする人、と多岐にわたって仕事を一緒にして行きます。

「ディレクターより〇〇がいい」と思うかもしれません。そうなったらそっちの道もチャレンジしてもいいと思います!

わたしは、一人で黙々とVTRの編集したり、効果やテロップをつける編集マンに強い憧れがありました。そういう他業種の人との触れ合いで、自分の次に行きたい方向が見えてくるかと思います。

ADのうちに身についたスキル

  • 先読みする力

「次に何がほしいのだろう」と無意識に体が動くようになりました。阿吽の呼吸というやつです。完璧なまでにAD脳です。

  • コミュニケーション能力

これは必然のスキルです。あと場の空気を読むことも覚えます。

  • 怒られたらすぐ忘れる

深く傷つかないように自衛をするために忘れます。多忙すぎて気にしてる余裕などありません。

  • テレビ業界のこと

当たり前ですが、テレビの制作に関わることに関しては経験しないとわかりません。

  • 人のいいところを探し当てる

とりあえず何かしら一個は褒めることで、コミュニケーションのひとつのきっかけになります。

 

最後に、

ADの経験は決して無駄ではないと思い、経験してきたことを否定しないことだと思います。